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​更紗 STORY

木版摺更紗のルーツ 鍋島更紗秘伝書写
​鍋島更紗秘伝書(写し)

~大航海時代~

 更紗の起源は紀元前のインド、木綿地に空想の植物や動物など様々な模様が木版で表現されたものでした。15世紀には大航海時代が始まり、更紗は各国へ拡がり世界中をも魅了する布へとなっていきました。流行の要因としては諸説ありますが、木綿という新しい繊維、見たこともないような模様、金属媒染による堅牢度の高さ、そして数百年経過した今でも残る鮮やかな色合いによるものとされています。

やがてインドから輸入されるものだけではなく、ヨーロッパ、中東、アジア、そして日本において独自の染織技術で各国の更紗が作られるようになりました。

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和更紗の誕生と鍋島更紗​​

 室町時代、日本にも本格的に更紗が輸入されると大名や茶人から大歓迎を受け主要貿易取引の1つとなりました。そして次第に日本各地で独自の”和更紗”が作られるようになりました。一般的には数十枚の型紙による型染めや、手書き染めですが、鍋島藩(佐賀)では”木版”と”型紙”両方を併用したハイブリッドの技術が九山道清(朝鮮出身)により生み出されました。以来、藩の献上品として一子相伝で受け継がれていきますが、廃藩置県による献上品廃止となったため徐々に生産数が減り、1900年はじめに途絶えることとなりました。

木版摺更紗として現代の更紗へ

 鍋島更紗を継承する人がいなくなったため、木版は焚き木になったり型紙などの道具類も散逸することに。不思議なことに献上されたはずの品物もほとんど残っておらず”幻の更紗”とも云われていたようです。それから約50年後の1959年、祖父・鈴田照次(当時43歳)が幸いにも残されていた秘伝書・見本帳に出い”秘伝の謎解き”を晩年の創作テーマとしました。数年後、技法解明のため単身で東南アジアやインドへと赴き、本格的に鍋島更紗の復元に着手しました。そして長年の研究の末に現代の更紗を創りたいという思いから”木版摺更紗”と名付け日本伝統工芸展へ作品を発表しました。祖父、父の代から大切にしていることが、他者の模様からではなく自然のスケッチから着想を得るということ。「復興しても同じものを作っていては同じ道を辿ってしまう」祖父の言葉を根底に新たな更紗として今に続いています。

木版摺更紗 秋耀
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